農園菓子工房 ホトトギス

ホトトギスについて

ホトトギスについて
ホトトギスについて

2005年に夫婦で岡山御津の古民家に移住、田舎生活を始めました。
豊かな自然に囲まれた環境にログハウスを建て、2008年にパン屋を開店し小麦栽培も開始。
しかし、その一年後に妻であるサラの小麦アレルギーが発覚しました。

2012~2013年にかけ、米粉を使った焼き菓子などアレルギー対応食品の製造を開始。
グルテンフリーの「農園菓子工房 ホトトギス」として再スタートしました。

現在、稲作を主とした循環農業を中心に据え、
米・卵・豆など自家栽培の農産物で作るグルテンフリーの焼き菓子などを販売しています。


微細粉米粉を使ったグルテンフリー

米粉のブラウニー

グルテンフリーって? What is gluten-free?

焼き菓子加工部門では、自家栽培のお米を焼き菓子に向いている微細粉米粉にしたものを使い、ブラウニーなどの焼き菓子をつくっています。できるだけここで採れる材料を使います。他にも卵、ブルーベリー、野菜なども。一番人気はフランス産カカオパウダーを使ったアメリカのチョコレートケーキ「ブラウニー」で、米粉のしっとりとした食感、カカオの香りが特徴的です。

自家栽培の黒豆を深煎りパウダー加工した「深煎り黒きな粉」や野菜ペーストを使った「農園スイーツシリーズ」なども現在は限定販売ですがつくっています。イベントでは卵、牛乳のみのシンプルな「昔プリン」も人気です。


工房内では小麦、大麦、ライ麦などグルテンを含む穀類をまったく使わないグルテンフリーの焼き菓子などを製造しています。地元の製粉所で自家栽培のお米を気流粉砕式製粉で微細粉に加工したもので、小麦が食べられないアレルギーを持つ人でも安心して食べることができます。

稲刈り風景

農園菓子工房で作っているのはすべて小麦アレルギー対応のものですが、小麦粉を使っているものと比べてもよりおいしいと言われるようなもの、材料の制限をまったく意識しないような満足感のあるものを目指しています。
アレルギーのある方も、無い方も、文句なしに美味しく食べていただけるもの、そういうものを自給的材料を使ってつくります。

プロフィール

吉原修蔵

ホトトギス代表:吉原修蔵

幼少のころは東京都北区赤羽で過ごす。小学校時代はイラン、スペインでの日本人学校生活を経て、文京区立林町小学校を卒業。その後、エジプト、カリフォルニアに住み、アメリカのレッドランズ大学で数学専攻の傍ら、ギター、合唱、写真、フリスビー、バックパッキング、探鳥などにはまる。

2002年に大学院中退後、一時帰国して結婚。2003年には鳥と風景の写真家を目指してアメリカ各地の美術展などに出展するが、写真を売るのは撮るよりもはるかに大変だと分かり、次の展開を目指して日本に帰国。気がついたら古民家で自給的な暮らしをしていた。

パン屋ホトトギスとしてパン製造をやっていたが、現在はグルテンフリーの焼き菓子の製品開発・製造のほか、鶏の世話や地鶏製品の開発、農作業全般を行う。
マルチタスクが苦手なために経営雑務に追われてど忘れちょんぼをやらかすときも多く、社長力アップが当面の目標。
近年は忙しくて大好きなスノボに行けてないが、ケトルベルで鍛えつつうっぷんをはらす。


吉原サラ

焼き菓子製造:吉原サラ

カリフォルニア出身。
大学時代には、持続可能な開発の学位取得の一環で、ニューメキシコ州、インド、ネパール、イスラエル各国で主に農村開発に関する現地NGOのインターンとして過ごす。

2000年秋にハンボルト州立大学院で環境システム学の修士課程で国際開発技術を専攻、同修士課程で数学モデリング専攻だった修蔵と出会い、2002年に結婚。2004年の終わりに夫の修蔵と日本に引っ越し。

当初は英会話講師をしていたが、もっとやりがいのある仕事がしたく、パン屋を開店することに。小麦アレルギー発覚後、パン屋厨房外での仕事を続けていたものの体調がすぐれずにいたが、グルテンフリー専門店として生まれ変わり、心も体も元気100倍に!大好きなブラウニーを焼きつつ、農作業にも携わる日々。

大事なこと、これまでのこと

パン屋開店からセリアック病発症まで
何を目指すのか

元は夫婦2人で始めた小さなパン屋でした。田舎に住みながら農作業をしてそれを活かしたお店ができたらなあという思いをそのまま形にしたようなことをやってきました。季節の野菜を作って田んぼではお米を作って、ヤギを飼ってみたり、ミツバチを飼ってみたりってやってました。

店舗は家のすぐ真横にログハウスを建てることにして、どたばた工事で未完成のまま営業開始!配達いったりイベント出たりしてお客さんも増えてきて...と頑張っていたところでどうも妻の体調がよくなく、ついに発覚しました。

セリアック病というのですが、グルテン不耐症、つまりグルテンを食べると具合が悪くなる遺伝性の病気です。簡単にいうと小麦アレルギーのようなものですが、ライ麦や大麦もダメというところが少し違います。
いきなり辞めましたってわけにもいかないので、もちろんパンはまったく食べなくなった他作業内容を見直したりしてなんとか続けてましたが、今度は夫の僕がぶっ倒れました。ストレスもあったんでしょうかね。結果的には肝炎でしたが、1週間高熱で寝てました。
熱が下がってからは稲刈りしたりパン屋再開準備も考えたりしてましたが、医者から肝炎の診断受けてから絶対安静と言われ、店は一旦あきらめました。


その後一旦再開してからも結局体調すぐれずにまた断念。

どうしようかと考えていたところに近くに住んでいた知人との共同経営の話が上がって、法人化することになりました。パン製造と農業の2本立て。自給的パン屋ホトトギスがこの頃で移動販売イベント出店しょっちゅうやってました。

結果的にはいろいろあって1年でみんな辞めちゃって、その後は少し規模縮小して2人+バイトでやってましたが、パンの評判は良かったけれどあちこち無理があったりで売上もそこまで上がらずに製造作業から手を引くこともできず、小麦粉の摂取アクシデント(手についた、空気中の粉を吸い込んだ、食べ物についたのを食べたなどなど)を何度も繰り返すことがどれだけつらかったか……。

それで2012年の秋にパン屋辞めることを決めました。

辞めると分かっていながらだらだら続けるのは性に合わないので年内で営業停止。その後の計画は特に決めず、興味のありそうなテンペや卵、地鶏肉のおそうざいなんかを中心にイベント出店して、農業のほうに力を入れてってもいいのかなくらいの考えでした。

知り合いやお客さまに辞めることを伝えてたときはかなり心配されましたが、もう小麦に関わらなくてもよいと分かってからの安堵感、開放感、ここでつくったものを食べてもよいと分かったときのうれしさ!がここまで大きかったのは、最初にセリアック病が発覚したあともパン屋を続けてこれたおかげだと思っています。

  • 2005年 夫婦で岡山御津に移住、自給生活始める。
  • 2008年 ログハウス建ててパン屋開店。小麦栽培開始。
  • 2009年 妻・サラの小麦アレルギーが発覚。一時休業。以降たま〜に営業。
  • 2011年 農業と製パンの両立目指すホトトギス株式会社を設立。地鶏の飼育も開始。
  • 2012年 12月アレルギー改善せず、完全にパン及び小麦製品の製造を停止を決断。
  • 2013年 主に米粉を使ったアレルギー対応食品の製造を開始。

グルテンフリーってどうなの?

米粉でパンを焼く

米粉でパンを焼いてみれば、という考えは当初はまったくといってよいほどありませんでした。

長時間発酵させて酵母と菌のつくり出す有機酸の香りと糖化されたでんぷんのメイラード反応がつくるクラストの香ばしさ、全粒粉の穀物臭と発酵した酸味の合わさった複雑な味、高水分の配合で透き通った網の目のスポンジようなクラム。

人類史上もっとも偉大なる発明かもしれないこの小麦から作るパンに匹敵するようなものがグルテンなしの代替粉で作れるとは到底思えず、また実際に手に入るソルガムなどの雑穀粉(米粉ふくむ)でつくったものを食べてみても、おいしいといえるようなものに出会ったことはなく、ましては商品として販売できるものが作れるとは思ってもいませんでした。

正直にいって、「小麦粉が食べられないかわいそうなアレルギーと持つ人たちのためにわざわざ作ったものだから少々おいしくなくても食べられるだけでいいよね」という恐ろしい雰囲気を持つようなものは、絶対につくりたくない。こんな感じでしたので。


技術が全て?「米粉」

そういうわけで、当初はグルテンフリーの「パンを含む焼き菓子など」の生産は考えていなかったのですが、ものは試しということで使ってみた最新の製粉技術を使った「洋菓子・パン向き」と言われる微細粉米粉でできあがったものを食べてみて仰天。考えが変わりました。

吸水の仕方、でんぷんの甘み、食感、全てがまったく違う。同じ「米」が材料ではあっても、「米粉」というものが製粉の仕方によってまったく違うものになるということは、後に製粉会社の方と話す機会があったときにも再確認できました。

今までにスコーンやクッキーのようなもの自体をそこまでつくったことがなかったけれど、逆に先入観なしで取り組むことができると強引にポジティブ思考で試作を続け、「これは意外においしいね」から「うん、ウマイ!イケるんちゃう!」に変わることになったのは、現在使用可能になった米粉のポテンシャルの高さのおかげかなと。
製粉の差、品種の差もあるし、もちろん米の栽培技術もある。それに加工技術が加わる。

健康的なだけでもおいしいだけでもない。これはおもしろい。


小麦を使わないことと米粉を使うこと

原点はどこにあるか。
小麦を使わないというのは出発点。小麦を使わないパンや焼き菓子を作る、というのが出発点ではないということが一つ。

別にといってしまうのは何ですが、米粉でなくても菓子でなくてもよかったのです。オムレツ屋でもよかったし、ソーセージ屋でもよかったし。本当につくりたいものは、と聞かれたら燻製屋だったかもしれないです。究極のスモーク鮎を目指すなんてのもありだったかもしれない。
でもそうはならなかったのは、今までの積み重ねがあったから。

毎年少しずつ田んぼも増えてきた。パンの種類だって開店当初とは比べものにならないくらいよいものが沢山できるようになっていた。
今ある自分というのは、過去の自分と自分を支えてくれたその他大勢の人たちと今までやってきたことの積み重ねの結果であるということ。それに感謝しないわけにはいかない。その感謝の表し方の一つとしての、米粉のベーカリーになる、という選択だったわけです。

2013年はそれでもパンのような食事系の焼き菓子がつくりたくて、スコーンとかケークサレとか作っていました。
野菜とか地鶏肉とかいれたりいろいろやってました。結構値段も高い粉チーズいっぱい入れたりして、味の方はとにかく評判よかったのですが、やはりパンというものの歴史の長さというか、直接比べてはいけないのですが、思ったように売上があがらずに、作るのがまた苦しくなってきました。あれこれなんでも作るので手間ばっかりかかってしまうのです。
つまり凝り過ぎなのだ……。焼き菓子にかぎらず農業にしても同じで、米も豆も野菜も畑も鶏もあれやこれやとやりつつ、これ!という決め手がないままズルズルと……。

その年の秋、唯一売上も上がっていた岡山各地のイベント販売が、立て続けに週末狙い撃ちのように襲った台風の影響もあってがたがた。農作業の遅れやイノシシの被害などもかぶさり、これをきっかけに「何かにしぼらなければ」という意識が強まりました。今更何いってんのと言われそうな36歳の秋……。

いろいろと考えた末、たどり着いたのがここです。
「米」と「鶏」 それから「ブラウニー」 でした。

ブラウニー、パン屋のときから小麦粉で作ってました。アメリカでは普通に家庭で焼いたりします。嫁さんの大のお気に入り。
その時も好きだから作ってて、いわばサービス品みたいな形でつくってました。とにかく美味しいので、その後抹茶マーブルだとかあれこれ真剣に売り出そうと考えたこともありました(いろいろあってやめましたが)。それで米粉でやろうと決めたときも今までより美味しくなかったら作っても意味ないしな〜みたいな感じでした。

ところが!!少し配合の調整が必要でしたが、この米粉でつくってみたブラウニー、正直言いまして、おいしくて仰天!おいしい〜〜!それまでの米粉もどき、雑穀粉などはなんだったんだと思うほどの違い。粉の甘みがあって、べたつきが少なく、しっとり感がある。食べたときにふわーっと来る強烈なカカオの香りはそのままで、粗製糖の優しくて素朴な甘みと合って、しつこくない軽い食感に仕上がっているのです。

味はいいし、人気もある。これならいける、思い出のブラウニーをやろうと。

となると材料は米粉の次に卵だ。
よし、養鶏をもうちょっとしっかりやってみよう。

全ての生きものに結びつく循環農業の象徴でもある鶏、しかも放飼いで、卵も肉も使って、エサも自給したり、ゴミになっているようなものを集めてきたりして、周りにあふれかえっている「いらないもの=食品廃棄物や副産物」を集めて、命そのものともいえる「卵」それと「肉」もしっかりと生産して、その場所で、人が本来生きたいであろう仕事ーものをつくったり、生きものとのふれあいがあったり、自然と持ちつ持たれつだったりーそういう場所にしようと。


目指すのは...

魚のアラ、パン屑などの余剰食品やおからなどの副産物を回収して、人間の食べないところをエサとして有効利用したローコストで高品質の食品循環飼料。そして集めた「食品廃棄物」で虫に増やすミミズコンポストやハエの幼虫を使った究極の「循環養鶏」で、生きたエサと土の肥やしを同時につくります。
そして一番大事なことが、世話をしている農家のことです。鶏の世話が楽しくて仕方がない、鶏を見ているだけで心がホッとする、そんな養鶏を目指しています。なぜなら飼育している人が幸せになれる養鶏なら、鶏も幸せだろうから。そういうところで採れる卵は食べる人も幸せにしてくれるだろうから。

米粉だから小麦粉を使ったものに劣っているわけではない。アレルギー対応だからそうでないものより美味しくないなんてことはない。グルテンフリーで自家栽培の米を使った焼き菓子を、一つの食べ物として心の底から納得できるものをつくっていきます。

卵、乳製品、大豆、ナッツなど小麦以外の特定アレルギー食品は同一設備を使用して使っているために、原材料に含まれていなくても極微量のコンタミの可能性があります。一方グルテンを含む材料は一切使っていないために、コンタミの可能性も極力排除しています。


最後にサラから

サラのコメント

私もそうですが、今は小麦が食べられないとはいっても昔はいっぱい食べてました。パンやケーキ、焼き菓子、パスタ、うどんなどの麺類、餃子の皮、天ぷらの衣、コロッケのパン粉など小麦粉を使う食品はとっても多いです。これらの他に調味料だったり加工食品だったりにつなぎやら打ち粉やらで使われていることも考えると、市販されているものをにはかなりの割合で小麦が使われています。10割ソバでも打ち粉が小麦ならダメだし、つゆの醤油も小麦が使われています。おせんべいとかおかきとか米だけのものでも、味つけにちょびっとでも醤油が使われていたらもうダメです。

グルテンが含まれているものはこれよりもさらに多くて、小麦、ライ麦、大麦などの麦類全般にふくまれています。麦茶もダメだし、麦ご飯もダメ。ビールも麦芽が入っているし、カラメルにも麦芽由来のものがあったりします(麦芽は結構加工原料としても使われています)。しかもグルテンは特定アレルギー食品でもないし添加物でもないので、ラベルの表示義務がないのです。

これに加えて同一設備や施設で作られている微妙の粉が混入すること(コンタミ)の可能性まで考えると、安心して食べられるものって、ものっっっっっっっっすごく少ないです(ていうかないかも?)。米粉100%のお菓子を作っているお店でも、同時にグルテン入りの米粉パンを作っていたら怖くて食べられないのです。単に食べれるかどうかでも難しいのに、ましてやおいしく食べられるものなんて...

だからこそ本当においしいものをグルテンフリーで作っています。もし必要としている人がいて、小麦を使わなくてもこんなにおいしいものがあるんだと知ってくれたら、これ以上の喜びはありません。

ホトトギスファームについて
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