農園菓子工房 ホトトギス

ホトトギスのお話し 元パン屋です...2016年のこと その2

2022年11月23日


続き

その後年明けて、限定販売で一旦再開してからも結局体調すぐれずにまた断念。パン自体はどんどんおいしいのができていて、なんとももったいないけどどうしようかと考えていたところ、近くに住んでいた知人との共同経営の話が上がって、法人化することになりました。(今思えば、すごいタイミング、ちょっとヤケだったのかもしれない?)

パン製造と農業の2本立て。「自給的パン屋ホトトギス」時代がこの頃で移動販売イベント出店しょっちゅうやってました。結構な数を作っていたような気がします。2011年は例の年でして、福島から鶏が来たり、結果的にはいろいろあって1年持たずに社員はみな辞めちゃって(あまりうまく行かずに本当に申し訳なかった)、またまた今後のことをどうしようかと悩みに悩んで、結果もうちょい続けてみようとなって。

その後は少し規模縮小して夫婦2人+バイトでやってました。豆を植えたり、ブラウニーの6次化とか調べたり、小麦栽培のポテンシャル考えたり、とにかく先へ先へと忙しくしていた頃で、とにかくパンはおいしいと評判は良くて、イベントでたり、雑誌とか取材あったかな?いろんなパンを作るのが一番面白かった時期でした。

ただ、あちこち無理があったり売上もそこまでは上がらずにお金はどんどん出ていくだけで、(小麦がダメなサラも)製造作業から完全に手を引くこともできず、結局小麦粉の摂取アクシデント(手についた、空気中の粉を吸い込んだ、食べ物についたのを食べたなどなど)を何度も何度も繰り返し、いろいろストレスの積み重ねがまあどれだけつらかったか...若かったからできたんでしょうが、多分この時期に、人生分の「我慢の総量」を使い果たしてしまったようで、パンがいやで丸一日なにも食べずに作業することも...

それでもういろいろとイヤになって、2012年の秋についにパン屋辞めることを決めました。辞めると分かっていながらだらだら続けるのは性に合わないので年内で営業停止。その後の計画は特に決めず、興味のありそうなテンペや卵、地鶏肉のおそうざいなんかを中心にイベント出店して、「自給的」を軸にして、もうちょっと農業のほうに力を入れてってもいいのかなくらいの考えでした。

知り合いやお客さまに辞めることを伝えてたときはだいぶ心配されましたが(というか早くまたパン焼けよコラと言われているような気がしてました)、もう小麦に関わらなくてもよいと分かってからの安堵感、開放感、ここでつくったものを食べてもよいと分かったときのうれしさ!がここまで大きかったのは、最初にセリアック病が発覚したあとも(少々)無理してパン屋を続けてきたからだと思っています。

料理が好きな人なら分かると思いますが、美味しくて体によいものをつくって自分にとって大事な人や好きな人に食べてもらうのが一番の喜びですよね?

自分の畑で小麦つくって自分でそれをパンにして、家族は食べられない。これで商売やってばんばん儲けてたら悪魔(ちょっと言いすぎか)です。これで利益もでてなかったらもう何やってるか分からない、地獄です。まあ、そういうことにはしたくなかったわけです。

というわけでグルテンフリーの話に続きます。